
事業承継の示した条件
メーカー側の論理であり、生き残りのための方策であって、果たしてそれによって、自動車メーカーの経営はすべてがよい方向へと向かい、体質は強化されるのであろうか。
もっとも重要な問題は、合併による企業規模の巨大化によって、消費者に気に入られ、より売れるいい車が生み出されるかどうかということであろう。
メガコンペティシヨンとは総力戦を意味する。
総力戦に突入するとき、自陣のどこがウイークポイントかを点検して、を補強するために合併なり、資本提携、技術協力関係を結んで体制を整える三百六十度を補強しようとして多くを身につけすぎると、大艦巨砲主義に陥り、鈍重で小回りがきかなくなる。
より巨大化した自動車メーカーはグローバルな広がりをもっていて、国境を越えるほど大がかりとなるだけに、企画や調整にかなりの時間や手聞がかかる。
さらには、小回りやフレキシピリティーが失われる。
量ばかりが重要視され、共通化が基本となる組織では、技術者の創造的個性が失われるほうに働きがちで、どうしても多様性が犠牲にされがちである。
規模の経済がもっとも得られるはずのワールドカーでも、ことごとく失敗している。
企業合併のとき、片方の企業規模が大で勢いがあり、反対にもう一方は規模的に劣り、落ち目である場合には、大が小を食って主導権を握り、わかりやすい力関係となってすっきりする。
ベンツとクライスラー、両社の場合は、ベンツが強者でクライスラー-を吸収するかたち、売上高でみるとほぼ同じで、生産台数は逆に三倍半にもなっているともに歴史は長く、伝統もある巨大メーカー同士であり、自身の技術に対して、それぞれが誇りも自信ももっている。
片や、自分たちの技術を絶対視するほど自信家のドイツであり、もう一方はアメリカ第三位とはいえ、自動車王国にあってGMやフォードと長く競い合ってきた自負心がある。
両社の設計思想や開発方式は極端に違っており、無理に統一しようとするならば、どちらのよさも失われ、現在よりも悪くなる可能性すらでてくる。
国は違い、両社の企業風土もあまりにも異なっており、どのように調整していくのであろうか。
たぶん、日本の企業同士が合併したときのような、何もかも一体化をする融合ではなく、互いが自立性を保ちつつ、得意とする分野を受け持ち、ヨーロッパとアメリカに相互供給するのであろうか先にも紹介したが、日本でもやはり企業風土がかなり異なる日産とプリンスが合併した例がある。
官僚的と指摘され、かつては外国との技術提携により技術を吸収してきた側面ももった日産と、経済性をそっちのけで技術至上主義に走りがちな職人気質で、戦前の軍用機メーカーの流れを汲むプリンス自動車である。
合併後も両社はいっこうに溶け合わず、ぎくしゃくして、結果、合併当初は生産台数で措抗していたトヨタにずるずる引き離されて今日に至った。
いまでは、トヨタの半分になってしまった。
この実例から教訓を学んだ日本の自動車メーカーは、先のトヨタ社長の発言にもあったように、それ以後、合併にまでは踏み込、ゆるやかなグループ化にするかたちを選んだ。
ベンツとクライスラー-は、どのように研究開発を分担し、割り振るのかはきわめてむずかしい問題マイナスに働くだろう。
両社の技術障はともに誇りがあって譲らないだろう。
開発テーマを強引に分けたり、どちらかに移管したりしようものなら、取り去られた方はかならず意欲をなくす。
アメリカは日本と違って転職にさほど抵抗のない国である。
優秀な専門技術の研究者、技術者はさっさと辞めて、他企業へと移っていくであろう。
自動車百年の歴史を振り返るとき、現代に近づいてくるほどそうではなかったといえる。
両社は果たして、過去にあった合併例の失敗を乗り越えるようなノウハウを創造しえるのだろうか?自動車産業が、自動車ものが大きくカーブを切ろうとしている一九九0年代末の現在、動きはきわめて速く、激しい。
そればかりか、商品戦略、開発体制、生産体制、グローバル展開、環境対策および次世代技術の開発と、質的に異なるさまざまな面において大きな変革が要求され、それも他社との競争において俊敏さが求められている。
それだけに、組織は将来の方向を的確に見据え、戦略的で機動性が発揮できる、むだのない、官僚化や硬直化を排したあらゆる面でリ-ンな(ゼイ肉をそぎ落とした)体制でなければならないはずだ。
さらには、消費者の好みや志向を敏感にキャッチし、今後のあるべき姿を先取りして、提案していけるようなしなやかな感性も要求される。
もちろん、さまざまな研究開発、新車開発が進められ、競争に伍していけるだけの資金を確保できるほどの売上高、企業規模でなければならないだろうが。
長期低落に歯止めがかからない日産を例にとれば、以前から、あまりにも官僚体質で、高コスト体質であることがいわれている。
変化の激しいとき、経営の意思が明確で、身のこなしは俊敏、柔軟でなげればならないが、必要以上に大きな図体はもて余して、対応が遅れがちになる。
国や人種によって好みが違うとしても、国境が取り払われ、グローバルな時代になってきただけに、一国で売れ、気に入られた車は、たくまに世界へと広がっていく可能性も高くなっている車社会が成熟し、車が輸送手段として、実用性、機能性がもっとも重要視され、安価であるならばよしとする欧米の消費者には、巨大化したメーカーから生み出される、画一化された大味な車でも気に入られるのかもしれない少なくとも日本ではそうした車はさほど受け入れられることはないだろう。
世界的再編の不可避が叫ばれて、自動車メーカーの合併や提携が進んでいくだろうが、そこには、過去において巨大メーカーが陥った同じ落とし穴が隠されている。
ともあれ、石油の上に乗ってあたかも当然のごとく発展してきた百年にわたるガソリン・自動車全盛たそがれの時代に赤信号がともり、黄昏の時代へと入ってきた。
石油の上に両足を置いた姿勢から、片足を代替エネルギーに移そうとしているのが九0年代末の状況である。
やがて、二十一世紀には軸足も移すことになる。
二十一世紀を前にして、自動車メーカーは百年に一度の大転換期にさしかかっている。
はたして自動車産業は、民間輸送機のジェット化のときのような、それ以上に新たなかたちでの盛衰ドラマを演じられるのであろうか。
人間とともに百年を超えて発展し、数十億という人々から愛されてきた自動車をつくり出してきた自動車産業は、世界のリ-ディング・インダストリーであるがゆえに、文明の変化と決して無縁ではいられない。
文明史的転換の予兆が、九0年代の自動車産業のさまざまな新しい動きの中に読み取れるのである。
一九九0年代における自動車産業の新たな動きを見わたすとき、車の原理的な面においては百年五十年に一度という単位での転換点にさしかかっているといえよう。
こうした基本認識があるため、本書はかなり欲張った内容になっている。
第一に、いまメーカーが目指そうとしている新たな方向を念頭におきつつ、自動車産業の半世紀を振り返って見るとき、一見、目新しいと思われる現在の動きも、までの歴史の局面で、いたるところに顔を覗かせていたことを確認しておく必要があった。
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